- 2013.09.25 Wednesday
- 「天才」とはなにか
-
代々木駅から徒歩2分のカフェでの展示がスタートしました。
社会人部活動の天才部のプロデュースによる展示です。今回の展示にあたり、そもそも「天才」とはなんなのか、私なりに考察してみました。
だれでも天才部プロデュース
「お絵描き獣医師たまの天才宇宙」
■会 場:cafe nook(カフェ ヌック)
https://www.facebook.com/yoyogi.cafenook?fref=ts
■期 間:9/19(木)〜10/2(水)
営業時間は平日12:00〜22:00、土曜日13:00〜22:00
日曜日・祝日はお休みです
「天才」というと、何か特別な才能をもったごく僅かな人々のことを指すように感じます。しかし、私はこの『天才』というものを、すべてのヒト、モノがごく自然に在る状態であると認識しています。艶やかに舞う蝶のどれが天才で、どれが天才でないか、色づき始めた紅葉のどれが天才で、どれが天才でないか、ヒトがそれを決めることはできるものでしょうか。たぶん、それらは最初から天才でも凡才でもなく、美しいも汚いもなく、そういうものなのです。そこにあえて名をつけるのであれば、すべてが「天才」である、ということなのだと思います。
今回の作品展のメインである『天才』については、多くの友人たちに、色付けのご協力をいただきました。絵の各ピースを各々が別々に色をつけ、一つに合わせることで作品としています。これはまさに、私が目指す作品のコンセプトと合致しており、この出来栄えに私自身が驚いています。
生物学の定義でいうと、細胞を持った段階からそれを「生き物」としてみなします。もともと単細胞だった生物は、集合し、各々が別々の機能をなし助けあうことで、世界で生き抜くために進化してきました。多細胞生物は、それ自体が多くの細胞の集まりでありながら、集合として一つのものとしても存在します。ヒトの身体は、約60兆個の細胞で成り立っていると言われており、そうなると私自身は、60兆個もの生き物の集合で成り立っていることになります。それら細胞たちは、今この瞬間にも生まれ、死に続けている。それでありながら、私というものはそのような変化などないかのように在り続ける。
この作品『天才』は、各々が生き物として輝きつつ、全体としても一つの作品として在る。それは生物そのもののようで、もともと獣医師であった私にとって、非常に美しい自然の摂理として、静かに心に落ちるのです。それぞれの細胞はそもそも自然に「天才」であり、その集合もまた、同じように「天才」を維持する。これはさらに、この集合すら、何かの一部に過ぎないのではないかと想像をかきたてます。
その他の作品については、友人の助けにより、こどもたちの塗り絵作品を集めることができました。この作品群のもととなった原画は、コピーしてこちらに置いてありますので、もし塗り絵に興味がある方がいらっしゃったら、どうぞ遠慮なくお持ちください。
シュルレアリストの遊びで「甘美な死骸」というのがあります。これは、紙を折りたたんで、他の人が何を描いたかわからないようにして自分のパートだけを描くもので、最後にできた絵は、各自の予測を超えたものになるという遊びです。塗り絵自体もいくつかに切り離して、友人やこどもと一緒に行ってみたら、予想外の驚きがあり、おもしろいかもしれません。
また、『解毒』については、原画の色付けを天才部の部長である棟居微貳氏が行っており、氏の強いバックアップにより、今回の展示が実現したことに、心より感謝申し上げます。
「解毒」Facebookはこちら^^
https://www.facebook.com/tama.medama
Facebookページはこちら(主に作品を紹介してます)
https://www.facebook.com/tama11medama - | Tama | Art | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) |