- 2011.07.28 Thursday
- 8月8日から半蔵門駅近くのカフェでグループ展をやります^^
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6人展「だいすき」
http://www.gaudi.com/ehon/daisuki
昨日お会いした鳥羽展維さんという方が動画を撮ってくれたのです。
すぐにアップしてくれたその行動力の速さに脱帽です^^
…声聞こえねぇなぁ。照れ屋さんゆえかw - | Tama | Art | 10:35 | comments(3) | trackbacks(0) |
- 2011.07.27 Wednesday
- 自分の不自由さと器量の狭さに心がめっきり折れた日。
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「くつをぬいであがってください」
たったその一言の注意書きが、あなたにとっての拒絶になってしまっていたなんて。
今まで気づかなかったことに気づかされた。
遅すぎたけど、もし叶うならもう一度あなたとの関係を築いていきたい。
「靴」
そうだよね、靴そのものが「あがりたい」って言ったら、靴は靴を脱げないわけで、もっと言葉考えてあげるべきだったよね。
なんて自分本位なオレ。
そんなことに気づかされた一日。
ごめんよ、靴。
石を詰めてみました。
今日は、天然とSomethingが遊びに来てくれました。
「天然参上」 ¥200
「Something参上」 ¥200
ここに貼られたものは全て売られていきます。
落し物・忘れ物も同上。
揺れるポストカード。
天然の撮り方を真似てみました。
靴だけでなく、傘を開いて裏から写真を撮ったり、地べたに寝っ転がったり。
この場にずうっといるのに、自分が全く思いもつかなかったことを次々と(平気で)始めて自由に写真を撮っていく。
「ボクノカサ」
そういえば、自分は傘を閉じることすら思いつかなかった。
そして次々に試す。
傘に絵を乗せるのはつまらなかったようだ。
でもそういうのも、やってみないと分からない。
ところで、今日も、みるとんが1体売れました。
しかも知らない人に!
初めて知り合い以外に売れました。ワーイ(*´∀`*)
その方は傘も気にして買おうか悩んでらっしゃいましたが、私がうっかり
「させる勇気があればなんですが」
と言ってしまったせいか、傘をあきらめて、みるとんにしたようです。
「さして歩けたらあなたの人生がいきなり自由になりますよ」
とか言えばよかったです。
次はそうしよ。
その他の展示です。(作者の許可を得て掲載しています)
こちらは細胞をイメージした立体作品。
絵とのコラボが美しいです。
裏に入ると滝の中にいるみたいなんだよね。
他に山口。
「賽の河原」より。
「外から中を撮ってみたい」
Somethingがそう言うので外に出してみる。
閉めて鍵をかけようとすると、Somethingは足で防御。
その体勢のままで写真を撮り続ける。
何がここまでヤツを追い立てるのか、生存本能か(たぶん違う)。
そんなSomethingはしばらく床に座って絵を眺めた後、青い色のものだけ集め始める。
「海をつくろうと思って」
「海」Something作
(レゴと間違われてるー!!)
「じゃあオレ、赤いの集める」
(対抗しなくていいからー!!)
「OSGフェニックス(バスケチーム)」天然作
土だと思っていた場所に、海とOSGフェニックスができました。
さらに、見知らぬお兄さんが「大学の友達の似顔絵」を絵の原の上にポイしてくれました。ノートをちぎっただけのところがまた、たまらない。
「知らないお兄さんの大学の友達の似顔絵」 ¥200
帰ろう、って話になってるのに、さらに天然が靴を撮り始める。
ちなみにこのスペース、私の寝床で寝転がってもOKと言ってますが、実際寝っ転がったのは子供たちだけでした。・・・昨日まではw
ふと、天然がつぶやく。
「靴下あればいいのに」
「あるよ」
「靴下いいっ!」
「いいね、片方脱げてたらいいのに」
「いいね!ちょっと脱がそう」
「おおー、おもしろい、いいね!いいね!」
そして靴と靴下の撮影会。
みんな面白いことが大好物のようです。
(誰も止めない。むしろかぶせてくる)
飛び出しすぎた部分などに多少の手を加えるが、基本的には海もOSGも友達の絵もそのまんま。
こうして自由に変わって遊んでもらえた空間が、嬉しくてたまらない日。
こういう日は宇宙に感謝したくなる。 - | Tama | essay | 05:05 | comments(4) | trackbacks(0) |
- 2011.07.25 Monday
- 友達が忘れていった日傘は売り物になりました@みるとんが売れた日。
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値札w
「友達のカサ ¥500」
写真展をやっていた友達に習って、パネル貼りしてみました。
・・・めっちゃ難しい!
何枚かぐちゃぐちゃです(´・ω・`)
友達が1体、みるとんを買っていってくれました。
と、一緒にグループ展をやっている日本画の子がみるとんを予約。
売約済み みるとんが2体になりました。
ワーイ(*´∀`*)
みるとんや絵の値段は私がつけたわけではありません。
絵の値段が、絵そのものの価値ではなく、画材や額の価値から算出されることが面白かったです。
絵の価値って誰が決めるんだろうね。
でも、きっと本当に決められる人は数少ないんだろうな。
その絵が自分の人生を変えてくれたとして、じゃあその絵に1億円払えるかっていうと、土地のほうがいいです、って話になるだろう。
そうだな、でもその前に、自分の絵が誰かの人生を素敵な方向に変えられるなら、それは素晴らしいことだ。
もしも生まれ変われるなら、夏生まれのミミズになって、河川敷でパリッパリに干からびて自転車で踏まれて亡くなろう。
それか苔になろう。
そんな一日。 - | Tama | essay | 21:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
- 2011.07.24 Sunday
- 昔の自分の手形とのコラボ。
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ほとんどの人がファイル以外触らない。
き、きたなくないよ!?たぶん。。
むかーし買ったケント紙を開いたら、いきなり手形があった。
い、いつのだろう。
今回使った紙の多くは10年くらい前に買ったもの。
昔の自分からのプレゼントだ。
白ペンなんです。
人の立ち入らない寝床の壁。 - | Tama | essay | 03:54 | comments(2) | trackbacks(0) |
- 2011.07.23 Saturday
- 否定的な感情なんて、この世にあってたまるかと想う日。
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賽の河原。
親より早く亡くなった子供たちが、親不孝の報いのために、三途の川の前で石をひたすらに積み上げるところ。
ある程度摘み上げると、鬼がやってきて積み上げた石を壊してしまうそうだ。
永遠と続く報われない努力。
親より早く亡くなることは、果たして子供たちの罪なのだろうか。
川原の石たちを、少しもらってきました。
うちのわんこ。2008年10月30日に亡くなりました。
この絵は2000年に描いたもの。
サインは入れないようにしてるので、日付とサイン部分だけ今回ちぎりとりました。
わんこは、積み上げた石の下に埋めてきました。
置いてある絵は、臨床獣医時代に患者さんを描いたもの。
当時、うまく描けなくて新しく描き直したために残ったものをリメイクしました。
他にプリントミスのものも。
去って行った生命のひとつひとつに、愛情が降り積もりますように。
散りばめられた色は、自分にとって心地良かったり気持ち悪かったりする。
もともとみんなクレヨンで描かれたものなのに、どうしてだろう。
怒りや憎悪、苦しみや嫉妬などはなぜか「否定的な」感情と称されることがある。
それらの感情はこの絵と同じように、単に彩りに過ぎないのに、どうして「否定的」というラベルが貼られてしまうのだろう。
良くない感情だ、とレッテルを貼られれば、人はその感情を押し殺そうとする。
でも本当は、全ての感情は自分の生命を守るために必要なものなのだと思う。
以前、脳の恐怖中枢を破壊されたおサルさんの実験について読んだことがある。恐怖中枢を破壊されたおサルさんは、天敵の蛇すら恐れずに平気で向かっていってしまうのだという。
「恐怖」は感じるから避けられる。
「苦しみ」はやり方を変えなさい、と今のままではいけないことを教えてくれる。
自分自身の感覚が教えてくれる幸福な喜び。
それだけで在れるよう軌道修正していくために、あらゆる感情は必要だからそこにある。
どうか何があっても、全ての感情を愛しく抱えていられますように。 - 続きを読む >>
- | Tama | essay | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
- 2011.07.21 Thursday
- その世界がこの世に形作られるまであと3日。
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ACT open studio、展示開始の26日まであと少しです。
入り口ではカエルちゃんがお出迎え。
(逆から入ってきた人は出口でWELCOMEされることになります)
足元には色とりどりの名刺がゴミのように散らかり、、そのため誰にも気づかれませんw
(ほんとにゴミだと思われてそう)
現在、窓まで侵食中。
友人の写真家さんの協力も得て、貼らせてもらいました。
白黒のものが友人の写真です。
そろそろクローズに向けていく予定。
最初にイメージしてたものとはだいぶ変わってきた。
描いている絵も、クレヨンで描きたくなったり、ペンで描きたくなったり、水彩がたのしかったり。
その時出会った人や、触れ合ったモノに影響を受けて、なんとなくできあがってきた場所。
そして今は、こうしよう、と思ったイメージがクリアーになった。
そのイメージは、私が最初に「こうするんだ!」って思っていたものより、はるかに私のままであるようなもので、自分が自然にそっちに向かうことに、なんとなく安心してみたりする。
最初から「こうじゃなきゃ」っていう場所ではなかった。
そんなコントロールができるほど、自分は大層な人間ではない。
窓ガラスの向こうに、色の原が広がってる。
毎日見ていたのに、見えてなかったもの。
少しでもそれに気づける自分でありますように。 - | Tama | essay | 23:37 | comments(2) | trackbacks(0) |
- 2011.07.17 Sunday
- 描いても描いても絵が増える気がしない日。
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昨日。
ある程度描けると、ぱらぱらと撒いていく。
「種まきしてるみたい」とお隣さんが言ってくれて、その表現はすごく素敵で大好きだと思った。
撒いている時が実は一番楽しい。
今日。
見るたびにむしろ減ってる気がしてしまう。
ぽいっと置いておいても誰も触ろうとしないので、「触ってよいよ」っていう書き込みをそこらに置きました。
でも、金色のペンで書いたせいか、誰にも気づかれない。
あと、逆側からやってきた方はもちろん気づかない。
ので、いちいち「触っても大丈夫ですよ」って言ってます。
とある初老の方がいらっしゃって「触っていい」と強制されると逆に触りたくなくなる、という意見をくださった。
ただ思うに、何も書かなければ、暗黙の了解として「誰も触ろうとはしない」だろう。
作品に触れていけないという思いがそもそもの強制であり、私としてはその強制を外すつもりだったが、最初のうちはコミュニケーションがうまくいかない感じだったな。
絵が必要でない人はたくさんいて、その人たちに無理に持たせても、ゴミが増えて戸惑うだけだろう。
そんなもんだ。
その程度のもんだ。 - | Tama | essay | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
- 2011.07.12 Tuesday
- 芸術と枠について考える日。
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自分の描くものについて、意見を聞く機会が増えてきた。
なるべく率直な意見を聞きたいが、本人を前にすると言いにくいのかもしれない。
そんなことも考える。
「あなたのは落書きじゃなくて、作風だから」
「こういうの描く人はいっぱいいる」
「本当の芸術は分からないもの。大衆に『分かられる』時点で、それは本当の芸術ではない」
「批評家の仕事は、100年先に理解される芸術を今、見抜くこと」
「楽しい、というのは大事なことだ」
「面白い」
「芸術も時代と共に変化する。芸術の場合は、階段状でなく、一足飛びに変化する」
「良い絵と売れる絵は、一緒だと思って仕事をしている。ただ、現実問題として、キャッチーな絵の方が売れる」
「イラストレーションの展示会なの?」
「芸術の本質は、自我の形成。芸術の基礎と称してデッサンの練習をさせることは、本質を外している」
「もし、この絵が薬と同じであるなら、病気でない人にはそもそも必要がないものだ」
「画面を4つに分けて、ある一空間に空きがあると、その部位は強調され、人はそこにおさまろうとする」
「もっといろんな線を描いてみるといい」
「空間を作るには、もっともっと埋め尽くすほどでなければ」
「ここでしか描けないような大きい物を描いてほしい」
「好きにしたらいい。芸術とはそういうものだ」
いろんな人の「芸術」感に、多少なりとも触れられるのは面白い。
ただ、もともと私は「芸術家」ではないし、そうなるつもりもない。
私は処方食のように、いきものたちの絵を描きたい。
宇宙のような受容力を持つ人ほど、許容範囲が広く、制限しない。
と、同時に、固定観念によらないフラットな視線を持つように感じた。
宇宙は私を否定したことがあっただろうか?
答えは否だ。
肯定については、私が今ここに存在していることが答えだろう。 - | Tama | essay | 22:37 | comments(0) | trackbacks(0) |
- 2011.07.11 Monday
- 日本武道館凱旋ライブまであと2387492835÷X日
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眼鏡をとってスーパーマンになるのは、クラーク・ケントだけではない。
音が空間に溶け合って、色と共鳴する。
来てくれた人たちに届けるんじゃない。
来てくれた人、1人1人に手渡すように届けられる音楽。
だから、響く。
人はいつから自分をつくり始めるんだろう。
人を傷つけないようにすることで、
自分を傷つけないでくださいって言うんだ。
相手と自分を同じだけ、同じものとして愛せたら、
相手への言葉は、自分への言葉と等しい。
彼のライブは私に、
「そのままでいてくれて、ありがとう」
って言ってくれる。
そんな気がした。 - | Tama | entertainment | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
- 2011.07.10 Sunday
- 敗者はトイレの前で踏まれる@「1st down 10」アメフト写真展
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Junction Cityにて、7月31日までアメフト写真展が行われています。
壁に飾られた14枚の激闘の瞬間。
大きな写真で「Something」を感じさせるには、撮影者の撮影技術のみならず、カメラの品質その他多くのことが要求される。
写真展を記念して、入り口周辺にちんまりっと絵を描かせてもらった。
トイレ前には敗れた微生物たちが。
…写真展のフォトグラファーさんに早速踏まれたらしい!
まさに踏んだり蹴ったり。。
その他、7月もエキサイティング?なイベントが目白押し!
タコススパゲティーもうまい!(唐突に) - | Tama | entertainment | 11:17 | comments(2) | trackbacks(0) |